May 26, 2013

気付く能力。


 その窓からは、駅から出てくる人たちが見えるんですが、通路、窓と物陰の位置関係から、人が一人づつ順番に見えるんです。一人づつ物陰から出てくるように見える。

 面白いもので、グループやカップルの中の一人が見え始めたときは、たとえその相方やグループの他のメンバーがまだその窓から見えていなくても、その人が一人ではないことが瞬時に分かるんですよね。見ず知らずの赤の他人でも、その人がだれかと一緒に歩いているのか一人で歩いているのか、その人だけしか見えていないのに、分かる。

 その人が黙っていても、歩き方、表情、体の向き、そんなこんなでその人がだれかと一緒なのか一人なのか分かる。

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 たった数年の年の差でも、どっちが年上でどっちが年下か、初対面でも分かる。

 どんなに化粧して着飾っていても、男なのが分かる。

 CGで作られたキャラクターは、相当高度なCGでも実写でないことが分かる。

 隠し事をしている人、嘘をついている人、疲れている人、いいことがあった人、精神に異常をきたしている人、体調の悪い人、どこがどうとは説明できないけど、分かる。

 ものすごく精巧なヒューマノイドが作られ始めているけど、やっぱり機械であることは分かるし、まだ自信を持って「不気味の谷」を超えたとは言えないんじゃないかな。

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 人間にとって、他人の様子を気にすることが生存にとってそんなにも大事だったということなんでしょう。種族の仲間たちの様子の微妙な変化に気付けることが、進化の歴史の中で人類の生き残りに有利に働いたに違いない。じゃなきゃ、こんなにも微妙な違いを瞬時に判別する能力なんて説明できないよね。

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 「空気を読む必要がある」「同質化圧力が強い」って、ハイコンテクストな日本社会の息苦しさを批判的に言う人もあり、確かにそれもそうだとは思うんです。でも、他人が発する微妙なサインに気付くという能力が、人が進化の過程で獲得してきた能力であるならば、日本人の「察する」「慮る」っていう特徴は人の進化の最先端なのかもなぁと、その窓から外を眺めながら思ったんです。

(上の写真はダーウィンの彫像@自然史博物館です)